願書を、出します。(自分のもつ性格の活かし方について)
Nなんとか大学です。
助教や同期、M1、M2の方に何度も小論文見せました。ボロクソです。初期の文面はどこにいったのやら。
こんどはこれを5分で話さなくてはいけません。げろい。
口頭試問にも耐えなくちゃいけません。いろんな人の力頼るしかねえ!!吐きそう!!
受かりゃいろいろ楽になるんですけどね。研究もそれなりに面白いことできて(ると勝手に思って)るので。
自分の行動のおおよそ本体であるだろう「他人を見下すことによって優越感を得たい」とかいうクソみたいな性質を有効活用するときがきた……のかなぁ?なんて。
基本的に自分の行動理念というものは「優越感を得たい」の1点に集約されると思っています。
ここでいう優越感というものはおおよそ、「相手(と同値になりうる者)に対して知識量/戦術/力といったもので上回り、相手を打ち負かすこと」とほぼ同値と言ってもいいと思います。
つまるところ支配欲、征服欲といってもいいのかもしれません。
要するに「目立ちたがり屋で自慢したがり屋の負けず嫌い」ってわけです。
とだけ書くとおおよそ「僕はこの性格を嫌がっている」と思われると思うんですが、実際のところこの性格、自分ではある程度は気に入っていまして。
というのも、この性格のお陰で少なくとも高校中期までは自分のちからを伸ばすことができていたわけです。
というのも、相手をボコボコにするため、相手の負けた姿をニヤニヤしながら蔑むためには絶対的な優位性がなくてはならない、つまり「相手を打ち負かす、相手を上回るにふさわしい知識量、能力の向上保持が必須である」からです。
まあ運動能力については体型のせいもあってか割と人並み/人に劣る部分が多々あったので諦めていましたが、こと勉強、特に英語、数学、地理、化学といった理系科目については他を押しのけるための知識を得るために相当量の努力を行ってこれたと思っています。(大学に入ってからは完全に堕落してしまっていましたが……)
で、今後自分が研究者として、また1人の受験生、就活生として生きていく上で最も必要であろう「アピールする力」はおよそこの「相手より優位に立ちたい」という思いと同じものであろう、と考えているのです。
つまりどういうことかというと、
- 「自分がアピールできること」というものは「他者がもっていないもの」である。
- 「他者がもっていないもの」は「自分だけしかもっていないもの」である。
- 「自分だけしかもっていないもの」に関しては「他者より自分が優れている」。
- つまり、「自分がアピールできること」は「他者より自分が優れている=他者を見下すことができること」である。
という四段論法になるわけです。
そういう意味においては自分のこの性格はとても有用なものである、と僕は思っています。
その上で、自分が他者に対して優位に立つためには自分のもつ研究の新規性、またその背景知識について戦う相手(同じ受験生であり、就活生であり、ときには面接官)を完全に凌駕している必要があるわけです。そのために、必死で知識をつける必要があります。
N大入試まであと一ヶ月。研究も進めつつ他者を凌駕している点を出来る限り多く持てるようになりたいですね。