へや記た。

思うがままになんか書いてた。

自分らしくあるために

至極当たり前であることをいまさらながらまともに文章にしてみたいと思います。

 

マイナーである、ということと自分らしいということは実質的には同じはずであるはずなのにそれらの言葉のイメージというものはどうしても正反対のものになってしまう風潮があるように思います。

 

自分らしさ、とは人には存在しない、自分にしかないもの、その範囲においては自分が一般多数とは異なった性質を示しているということじゃないのかなー、と思ってます。とするならばマイナーである(not majorである)ことは本来喜ばしいことではないか、と思うのです

マイナーという言葉のイメージなのでしょうか。ユニークといえば許されるんですかね?

 

 

ここで考えるべきはメジャー層、一般大衆にとってのマイナーの受け取られ方によるのかな、と思っています。

 

一般的なメディアにおいて優遇されているスポーツマン、芸能人というものはその能力、才能、美貌などにおいて一般から突出している、すなわちマイナーであると考えられます。しかしながら、そのマイナー性は一概にして「プロ性」としてあがめられています。

一方で僕のような(専門性は高くはないですけれど)いわゆる「オタク趣味」というものは概していかなるものにおいても馬鹿にされる傾向があるように思います

これは前者が一般的にmajorなもののなかで突出している(=minorである)のに対して後者が一般的にminorであるということなのかなーというのが挙げられるのではないかと。

 

よーするに(海外の状況は知らないので何とも言えませんが)この国におけるminor性は結局自分が好むかどうかを拡大解釈した集団として好まれるかどうかがそのまま自分らしさとして考えられるかどうかという点につながってしまうのかなーと

まあ確かに、(いい話ではないですが)犯罪をすることも本来ではminorであり、自分らしさと表現できる部分ではありうるわけで

 

そう考えるとどの点においてその線引きがされるのかなーというのは結構きになりますね。詳しいとこまで調べられないので何とも言えませんが。

 

んー、自分自身も偏見がかなり深いものになってきてる感があるので修正はしていくべきなんでしょうねぇ……