他人との関わり方と使い方 に結論が出なかった
研究が一歩前に進んでくれました。
よかったよかった。
ただちょっと数点咬み合わない点がでてきたのと片付けがものっすごくやっかいなのがつらいです。
今日はそんな理系として生きるつもりのB4の、体育会系との関わりの考え方のお話。
ご存知の通り、僕は「よく喋るタイプのコミュ障」です。
※どういうコミュ障っぷりを発揮しているのかについては
世間ずれと内向的な性格とコミュ障と空気読みとノリとなんかいろいろ - へや記た。
この辺りを参照して頂ければ。
で、先日親と話せる機会があってその時にこんな会話をしたんです。
親「今も酒嫌いなん?」
僕「まあねー 一応多少努力はしてるけれど」
親「とりあえず1杯だけでいいからなんとかできるようにしとけー、そうしておけばなんとか世の中わたっていけると思うから」
僕「そういうのあんまり好きじゃないんだよねー」
親「まあお前の嫌いそうな世界ではあるけどなー」
僕「まぁねー。体育会系の世界は正直まだゴミとしか思えないからなー」
親「そんなことないぞー。彼らも彼らなりに」
僕「今の時点では、だけどね……今後うまく使う方法見つけられればいい奴らとか言うのかもしれないけれど」
親「(ちょっと笑みを浮かべて)そうだなー。お前はそういうことをすることになるだろうし、まあうまくやってけー」
※ちょっと脚色してあります(というか完全に思い出せなかった)
会話の内容自体はしょうもないものですが、ここに僕と親の人間力の差があるのかなーとか思ってしまいます。
父は職業こそ中小企業の中間管理職ですが昔から地域の祭りなどに積極的に参加してました。
一方で僕は将来研究でご飯たべようとしてて、基本的に家のなかでひきこもるような生活でした。
そこから生まれただろうコミュニティ力、いわゆる(僕の大嫌いな)飲みニケーションというやつでしょうか。その差がこの会話の中からちょっとでてるのかなーなんて。
結局僕自身は「自分と仲良く出来る集団とのみ仲良くして他を排他する傾向にある」のに対して父は「たとえ自分と相対するような人であってもうまく利用する方法を考えられる」人なのかなーと。
単なる人生経験の差って話なのかもしれませんが、それでも昔から「田舎のムラ社会」=「古典的体育会系社会」に触れてきていた人の動き方というものにはやっぱり唸らせられる、というか(単に色眼鏡ついてるだけなのかもですけれど、)尊敬できるものがあるなぁ、と。
どう自分が頑張っても遅かれ早かれ「体育会系」の人とともに何かをする、ということは避けられないことだろう、と思っています。否が応でも世の中の半分以上はヤンキー文化の中で生活をしているわけで、かつ工場などの第二次産業の世界はどうしてもその手の人が多くなってしまうきがします。(あくまで偏見です、間違ってたらごめんなさい)
そんな中で、体育会系を嫌ってきた、そして今も嫌っている僕はどうやって彼らに対処し、そして(言い方は傲慢ですが)利用できるようにしなければならないのでしょうか。
一番のポイントは彼らの「空気」についていけるか、のただ一点につきるとおもうんですよね。
といっても彼らの空気というものは
- (大抵の場合年齢、所属年数を元とした)上下関係を絶対のものとし、それに刃向かうことを断固として拒否する。
- 「ノリ」で大体のことが決まってしまい、全員に「ノ」ることを強要する。
- 「空気を読む」ことを非常に重視し、それを破った者に対しては制裁を行う。
- 上記の制裁を含む悪ふざけによって発生した損害については「ネタ」の一言で片付けてしまう。
- (一気飲みが大好き。)
(以上、
世間ずれと内向的な性格とコミュ障と空気読みとノリとなんかいろいろ - へや記た。 より)
……つらいあんどつらい。
というのも彼らの空気というものは大概「テレビ」「LINE」といった仲間内が見ているものによって形成されている(のが大半である)ために、それらからわりと遠い位置にいる僕にとってそれらを理解するというのは今となっては困難にちかいと思ってしまいます。
となったら。酒しかないのか。ないのか……
そもそも体育会系の風潮は一般に(当然ではあるけれど)スポーツの世界から発生するものであることを考えるならば体力なしの僕が対抗出来る手段はあんまり無いような気がしてきました。たすけてー
知的遊戯で仲良くなることは……あーだめだ。あの人達すぐ賭けとかいいだしそうだ。ブチ切れそうだ。
……となると、彼らを操ることができるだけの話術を手に入れるしかないのか。
詐欺師しかり、人の心をうまくつかめる人って言葉の使い方がうまいですからね。彼らの能力には参考になる部分がいっぱいあるように思います。
さ、勉強だ、勉強だ。