プレゼンは楽しいものであるはずなのに
お久しぶりです。
無事N大の入試玉砕してきました。
結果は7/23にでるらしいのでそれまでお待ちを。
たぶん玉砕してます。さらば奈良。10月にまた会おう。
面接試験ってものがどんなものなのか、また学問はどのようなことを求めているのかというのを垣間見ることができたと思います。30kでそれを知られたからいいってことにしときます。
今日はそんな発表についての話。
さて、僕の所属するラボでは報告、発表などは以下のようになっています。
週ごとに今週する実験、先週の結果を簡単にまとめて提出
M2は8月、M1は12月、B4はその両方でその時点での成果報告
M1が9月にテーマについて簡単なポスターセッションを研究科全体で実施
で、もうすぐ僕も中間発表を行うわけです。
つい先日その練習として背景知識について、つまるとこ「なんでその研究しとんねん」について、同期で発表会を行ったわけです。
その時に感じたことを簡単に自分のためにまとめておこうと思います。
1.聞き手のことを考えていない
といっても様々な点があるのですが。
a.専門用語をそのまま用いてしまう
僕の所属するラボのメインは液晶なのですが、僕がやっているのはゴムの作製で液晶については全くの門外漢といってもいいレベルです。
また、液晶をテーマとしている人の中でも、細かい部分ではさらに分かれていることになります。
そのために専門外の人でもわかるような説明が必要であるのにもかかわらず、その説明が抜けている、というのがいくつかあったように思います。
たとえば、僕のテーマはゴムについてなのですが、発表においては本来の名称、熱硬化性エラストマーという名前を使うのが正式なものだと考えられます。
さて、ここで専門外の人はきっとこう思うことでしょう。
「熱硬化性エラストマーとは何ぞや」と。
このテーマについて発表を行うならばこの語、ひいてはそもそも「熱硬化性」「エラストマー」のそれぞれについてきちんとした定義を述べたほうが聴衆にとって良い、というのは火を見るよりも明らかだと思います。
中でも略語の定義を述べずに略称として使ってしまう人が数人いたのが残念でした。
b.スライドの作りが聞き手を意識したものになっていない
これは特に下回生の英語の講義で行われているスライドから感じました。
例えば、商品の紹介をする発表において、製品のスペックについて口述はしているのですが、その情報についてまったくスライド側では触れていない、という感じのものがありました。
ほかにも、スライドの情報から発展した情報を流しているにもかかわらず、それについての情報をスライドとして提示していないというものが、同期の発表でも見受けられました。
あくまでこれは僕の主観であり絶対性はないとは思うのですが、
「人は他人の話をそんなに集中して聞いていない」
というものがあるのではないか、と考えています。
もともと僕が聴覚に対して注意散漫である、というものもあるのですが、単なる音としての言葉はその発声されたほんの一瞬だけしか存在できず、聞き手側はそのすべてを聞き漏らさないために発表時間のすべての間集中力を持たなくてはなりません。
しかしながら
2.圧倒的な練習不足
僕もよくやらかすのですが、みてて「お前全然練習してねえだろ」「その場しのぎのつくってるだろ」ってのがよくありました。
前述の聞き手の意識にもかかわるのですが、やってるのを自分で撮影してみるといかに自分の発表がごみなのか、聞き手にとってわかりにくいものかってものがわかると思うんです。
まあ僕自身がいまいちそのあたりをわかっていないから僕の発表がひどいものになるってものもあるんですけれど。
結局練習していく中で自分の中で気付きがうまれてよりよい発表になるはずなのに、なぜそれをしないのかってのはとても気になります。
ほかにもいくつか書こうとは思ってたんですが僕の発表がひどいものであったことを思い出すとちょっと辛くなってきたのでここらで一回止めておこうとおもいます。